ホリエモンこと堀江貴文氏(48)は21日、北九州市を本拠地とするプロ野球独立リーグの新球団の設立計画を明かした。
ありがとうございます!
フェニックス、その名の通り不死鳥で17年ぶりの復活です。オンラインサロン発のチーム作ります https://t.co/a1y7GLeXmR— 堀江貴文(Takafumi Horie、ホリエモン) (@takapon_jp) May 21, 2021
球団名は「福岡北九州フェニックス」で、4月に同市に運営会社を設置。
今年始動した九州アジアリーグへの来季からの参入を目指し、加盟申請を開始した。同氏は株主、取締役の立場で経営に参画するとのこと。
ホリエモンが野球界に参入しようとするのはこれが初めてではない。
初めて参入しようとしたのはライブドアの社長を務めていた2004年に今回の独立リーグではなく、プロ野球界に参入しようとしていた。
2004年に起きた球界再編
2004年に当時、経営が傾いていた近鉄バッファローズが球団を手放そうとしていることがささやかれていた。
そこでいち早く名乗りを上げたのが堀江氏だった。
結局はオリックス・ブルーウェーブスと近鉄は合併し、
現・オリックス・バッファローズとなった。
そこで1球団減ったところに、参入したいと手を挙げたのも堀江氏だった。
結局は、楽天が参入することとなり、
東北楽天ゴールデンイーグルスを設立。
現在の12球団の体制を維持した。
当時、選手会長の古田敦也氏(ヤクルト・スワローズ)が
史上初となるストライキを決定したことも大きな話題となっていた。
ホリエモンがなぜ球界参入できなかったのか?
いち早く球団買収に名乗りを挙げたのが堀江氏率いるライブドア。
当時「近鉄には、オリックスよりも金銭的にいいオファーが提示できる自信がある」とメッセージを送ったが、
結局、近鉄とオリックスは合併。堀江氏は新球団を仙台に立ち上げる計画を進めたが、後から新規参入を表明した楽天が新球団を持つこととなった。
と経緯のようである。
だが、経営者としていち早く行動するということをしたにもかかわらず、なぜ参入できなかったのか。。。。
堀江氏はテレビ番組などに出演した際にこう語っている。
「ナベツネさんのところに挨拶に行かなかったから」
堀江氏は「ナベツネさんに会ってから、球団買収案を公表していたら大丈夫だった」と言い、
「僕が“ミス”をしたからソフトバンクの孫(正義)さんも、楽天の三木谷(浩史)さんも、先にナベツネに挨拶にいって発表している」
ナベツネさんとは
当時の読売巨人軍のオーナーである・渡邉恒雄さんのことである。
ナベツネさんは当時プロ野球界のドンと周りから言われるほどに絶大な力を持っていた。
ホリエモンはナベツネさんに挨拶に行かなかったというミスが
失敗を生んでしまったようだ。
まとめ
当時、大きな話題を呼んだ球界再編であるが、
その時の中心であったホリエモンがまた野球界に新しい風を吹かせてくれるのはとても良いことである。
今後の北九州新球団に目が離せない。